大陆普通话と台灣中文のはざまで
僕は台湾人の彼女と交際している。
彼女と付き合い始めてから中国語の勉強を始めた。
ところで、僕たち日本人が一般的に「中国語」と呼んでいるのは、中国大陸の普通话のことである。
中国は広い。13億もの人が住んでいる。方言もたくさんある。昔は一山超えれば言葉が通じなかったそうだ。まさにところ変われば言葉変わる。
そんなわけで、広大な国土に住む13億もの人たちがコミュニケーションを取るためには、共通の言葉が必要になってくる。
普通话とは読んで字のごとく「あまねく通じる言葉」という意味だ。
中国大陸には今でも普通話を上手く話すことができない人がたくさんいる。そのほとんどがお年寄りだ。以前福建省に旅行に行ったとき、ふらっと立ち寄ったレストランのおばあさんは普通話ができなかった。僕は福建語を話すことができないので、仕方なく紙に書いて注文した。
でも、普通话ができない人はこれから少なくなってくると思う。中国の学校では普通话を使って授業が行われる。
家では方言を話したとしても、学校では普通话を話すことになる。
逆に方言ができない人はどんどん増えてくると思う。
広東語や福建語のように話者が大勢いる方言はまだしも、ごく一部の地域でしか話されていない方言はいずれ消えてしまうかもしれない。
話をもとに戻そう。
僕たち日本人が普段「中国語」という時、通常は中国大陸の普通话を指す。
しかし、中国語を話す国は中国だけではない。
台湾人も中国語を話す。
僕の彼女は台湾の台中出身で、もちろん中国語を話す。台湾語も話すことができる。
台湾語というのは福建語の一種で閩南語とも呼ばれる。
台湾にはもともと住んでいた原住民と中国大陸から移住した人たちが一緒に暮らしている。
もともとは原住民の言葉しかなかった。そこに中国の言葉が入って来た。それが閩南語だったのである。
日本統治時代には日本語も入って来た。
そして戦後国民党の統治が始まると共に、大陸から中国語が入って来た。
国民党とはもちろん共産党と戦って台湾に逃げ込んだあの国民党のことである。
当時は蒋介石がリーダーだった。
蒋介石率いる国民党は台湾人に中国語を話すように命令した。
学校教育でも中国語が使われるようになった。
しかし、台湾にはもともと閩南語という言葉がある。いわゆる台語(台湾語)である。
私たち人間が外国語を学ぶ時、もともと知っている言葉に影響を受ける。
台湾の場合、新しく中国語を学ぼうとしたときに、閩南語に影響を受けた。
台湾のおじさんやおばさんは閩南語まじりの中国語を話す。お年寄りになると、そこに日本語も入って来る。
台湾の前総統李登輝さんは日本統治下の台湾で日本語教育を受けた。家では台湾語を話していた。戦後中国語も話すようになった。
というわけで李登輝さんが一番自由に操ることができる言葉は台湾語で、次が日本語だそうだ。youtubeで李登輝さんの中国語を聞くと分かるが、とても訛っている。
若い人の中には閩南語ができない人も大勢いる。だけど中国語ができない若者はいない。しかしそんな台湾の若者たちも中国語を学ぶ課程で常に耳にしていたのは台湾訛りの中国語であった。
そういうわけで彼らの中国語も台湾訛りの中国語だ。
ちなみに、台湾には閩南語だけでなく、客家語や広東語を喋る人もたくさんいる。客家語も広東語も中国南方の言葉だ。台湾の地下鉄には中国語、閩南語、客家語、英語のアナウンスがある。
僕は台湾人の彼女ができたというのが中国語を勉強するきっかけだった。
だから、自動的に台湾の中国語を学ぶことになった。
最初は独学で勉強していた。自分でテキストを読んで音読し、彼女に覚えたての中国語を使って話してみるという練習方法だ。
台湾の映画もたくさん観たし、台湾の音楽もたくさん聞いた。
彼女が台湾人だからという理由で、中国大陸の映画や音楽には長い間関心がなかった。
大学一年の夏休みには台北の師範大学の中国語プログラムに参加した。
台湾に約一か月滞在して、あちこちに旅行に出かけた。
金門で釣りをしていた時、隣のおじさんがしつこく話しかけてきた。もちろん中国語で。当時の僕の中国語は現地の人と意思疎通ができるレベルには達していなかった。とにかく「僕は日本人で、中国語はあまりできません」と伝えた。それでもそのおじさんはしつこく話しかけてきた。
その時僕は気付いた。この人は僕が日本人で中国語があまりできないことなんて気にしていない。隣で釣りをしている釣り人にただ話しかけているだけ。もしかしたらどんな仕掛けを使ってるのか、餌は何を使っているのか聞きたかったのかもしれない。別に日本人だから話しかけているわけではない。そんな当たり前のことに気づいた。
そうすると随分気が楽になった。僕はとにかく単語を並べてそのおじさんとお喋りをすることにした。時に身振り手振りを交えて、日本海でハマチが大量だった時のことや2mの大波でとても釣りどころではなかった時のことを話した。おじさんは面白そうに笑ってくれた。相変わらずおじさんの言っていることはさっぱり分からなかったけど、おじさんと話していて心から楽しいと思うことができた。
結局そのおじさんとは夜遅くまで一緒に飲んだ。なんとかおじさんの名前と電話番号を知ることができた。次回金門を訪れた際はおじさんと一緒に釣りをするという約束までした。
驚きだったのは、最初はさっぱり分からなかったおじさんの言葉がだんだん聞き取れるようになったことだ。アルコールの力もあったのかもしれない。だけど、最初はさっぱり聴き取らなかった言葉が聴き取れるようになった。もちろん完璧に聴き取れるようになったわけではない。分からない単語のほうが多いくらいだ。でも、おじさんが何を言おうとしているかは分かるようになった。
それだけでもすごく嬉しかった。とても大きな進歩のような気がした。
最初は彼女と中国語で彼女とコミュニケーションを取れるようになることが唯一のモチベーションだった。
あの日おじさんとお喋りをしてからは自分の世界が広がったような気がした。
思い返せば英語は生活のために仕方なく勉強した。小さい頃アメリカに住むことになり、英語ができないと友達とも遊べないし学校でも孤立してしまう。そういう切迫して理由があったからこそ一生懸命英語を勉強した。生きていくためには英語を勉強するしかない。子どもながらにそう思った。
中国語の場合はそれほど切迫した理由があったわけではなかった。
僕の彼女は日本語がペラペラだし、中国語ができないからといって生きていけないわけではない。
でも、あのおじさんのおかげで中国語を学ぶ新たなモチベーションができた。
中国語を勉強すれば台湾の人と話をすることができる。
一か月の台湾滞在で僕はすっかり台湾好きになっていた。
特に台湾の人が好きだった。
見ず知らずの僕に優しく接してくれた台湾の人たちが好きになった。
台湾の人ともっと話して、台湾のことをもっと知れば僕の世界はもっともっと広がる。
僕はそう思った。
いつかもう一度金門に戻りあのおじさんに電話をかける。その時僕の中国語はもうペラペラで場所や時間の約束も問題なくできる。もちろん釣りの話も中国語でできるようになっている。
そんな日を夢見て日本に帰国した。
大学一年生の夏。
新学期が始まり、僕は中国語のクラスを履修することにした。
僕の大学で中国語を教えているのは中国北京出身の先生。以前は台湾人の先生もいたそうだが、出産するとかで辞めてしまった。
そんなわけで先生が教えるのは中国大陸の中国語。すなわち普通话だ。
大学の規則で中国語Ⅰを履修していない人は中国語Ⅱは履修できないシステムになっていたため、僕は中国語Ⅰから始めることになった。
最初から壁にぶつかった。
初級の中国語の授業はたいてい発音から始まる。
日本人はもともと漢字を知っているので文字を教える必要はあまりない。
簡体字に慣れればいいだけの話だ。
しかし発音はそうはいかない。日本語にはない音がたくさんあるので、何度も練習して身につけるしかない。
漢字は表意文字なので、文字を見ただけでは発音が分からない。
日本語の場合は漢字に平仮名でルビを振る。黒という漢字は、くろ/こくと読む。
普通话の場合はアルファベットで漢字の発音を表す。拼音と呼ばれるものだ。拼は「組み合わせる」という意味。読んで字のごとく「音を組み合わせる」つまり「発音」のことだ。
黒という漢字は拼音ではheiと表記する。
そこに声調というのが加わる。声調というのは声の調子のことだ。つまりトーンのことである。黒は第一声。高いトーンで始まり高いトーンで終わる。平らな発音。
つまり普通话の漢字を読むには拼音と声調の両方を知らないといけない。
大学の中国語の授業ではもちろん普通话の拼音を勉強することになった。
しかし、台湾の師範大学では注音符號で発音を勉強した。これは普通话の拼音とは全く異なるシステムだ。
僕はまずこれに戸惑った。
拼音で読んでも注音符號で読んでも結局は同じ発音になるはずなのだが、僕は拼音に馴染むことができなかった。
中国に嫌悪感があったわけではない。
僕はとにかく台湾の中国語が勉強したかった。しかし、独学に限界を感じた。だから中国語の授業を履修することにしたのだ。
やめてしまおうかとも思った。
実に些細な悩みだが、その悩みのせいで僕はしばらく悩んだ。
しかし、僕は気付いた。
これって馴染むとか馴染まないとかの問題じゃなくて、できるようになるかならないかの問題だ。
そう。できないから逃げようとしていただけ。それでは世界は広がらない。
注音符號はもう覚えたんだから、次は拼音で勉強したっていいじゃないか。
僕は切り替えがはやいほうではないので、そう思えるようになるまで結構時間がかかった。
だけど、そう気付けたから、気持ちが楽になった。
どんなことでも「できるようになる」というのは嬉しいものだ。
そして、二年の秋から一年間台湾で交換留学を経験した。
その頃僕の中国語は日常生活に困らないほどにまで上達していた。
交換留学の一年間僕はたくさんの中国人と友達になった。授業も全て中国語。寮生活も全て中国語。まさに24時間中国語づけの生活を一年間送った。
僕の中国語は一年で驚くほど上達した。
金門のおじさんとも二度再会した。おじさんも上達した僕の中国語を聞いてとても喜んでくれた。おじさんの話もちゃんと聞き取れるようになった。
特別なことをしたわけではない。中国語の授業(中国語を勉強する授業)を受けて、覚えた単語や表現を実際に友達と話す時に使ってみる。
友達との会話で分からない単語や言い回しがあればメモする。会話中に友達に質問できればいいのだが、そうはいかないことも多い。そんな時は台湾人のルームメイトに質問した。僕のルームメイトにはとても感謝している。いつも丁寧に説明してくれた。
悪友が多かったのもよかった。一緒に酒を飲んだり馬鹿話をしていると、台湾の中国語独特の表現が山ほど出てくる。
悪い言葉やエロい言葉もたくさん覚えた。
どんな言語でもそうだが、悪い言葉はそれ相当に理由がない限り使うべきではない。理由は人間性を疑われるから。簡単に使うべきではないのだが、知っておいたほうがいい。理由は言われた時に理解できないと困るからである。
あと、Facebookやインターネットで知らない単語に出会うと、辞書で調べてメモをする。そして、実際の会話で使ってみる。
例えば経済に関する単語を覚えたとする。友達が経済好きで経済の話をするような人であればいいが、僕にはそういう友達はいなかった。そういう時は強引に経済の話題にもっていく。最初は「えっ?」という顔をされるが、大丈夫。ちゃんと話を聞いてくれる。僕の友達は基本的に話し好きだったので話し相手に困ることはなかった。
そんなこんなで僕の中国語は一年でかなり上達した。
彼女との会話もほとんど中国語でするようになった。
中国語を勉強してよかったなあと思う。
当初の目標であった彼女と中国語で話すという目標も達成できた。
僕の世界を広げてくれたおじさんとも再会できた。
台湾人や中国人の友達もたくさんできた。
中国語の映画や音楽が好きになった。
中国語で書かれた本や雑誌を読むようになった。
本当に世界が広がった。
中国語を学ぶ前は日本語と英語の世界しか知らなかった。新しい言葉ができるようになると世界が広がる。
中国語を通してたくさん友達ができた。台湾や中国の文化に触れることができた。
当初の目標よりも多くのことを学ぶことができた。
中国語を勉強して本当によかったと思う