重松清『エイジ』 思春期について

小学生の頃なら、「お母さん、お母さん、聞いて」と玄関に駆け込んだはずだ。

息せききって、朝からのできごとをすべて母にしゃべっただろう。

しゃべらずにはいられない。

秘密を一人で抱え込んでいると胸が窮屈になって息苦しかったし、母の「こうしなさい」や「それはやめときなさい」の答えに従っていれば、たいがいうまくいった。

 

でも、いまは違う。黙っていることに息苦しさよりも、しゃべる面倒くささのほうがいやだ。

それに、母の「こうしなさい」や「それはやめときなさい」は、ぼくの「こうしたい」や「そんなのやりたくない」といつも食い違ってしまう。

 

 

 

世間を賑わした通り魔事件の犯人が同じ中学のクラスメートだと知ったエイジ。

家に帰った途端母に通り魔事件の犯人について聞かれる。

そんな場面です。

 

僕も小学生の頃は、とにかく誰かに話を聞いてほしかった。その日学校であった出来事や、友達と話したこと、家に帰ってから何をして遊んだかetc...とにかく自分の想いを誰かに伝えたくて仕方がない。そんな時が僕にもありました。

 

学校が終わり帰宅すると、キッチンのテーブルの上にはおやつが用意されている。

母は、いる時といない時があった。たいていは近所に行っているだけなので、すぐに帰って来る。そのちょっとの時間が待ち遠しかった。学校であったこと、友達から聞いた話、先生からの連絡事項etc...なんでもいいから話したかった。

話す相手はいつも母だった。なぜだろう。父親とはそういう話をした覚えがない。

 

僕が中学生になった頃、母の「今日学校どうだった?」の一言をうっとうしく感じるようになった。

ちょっと前まで、あれだけ話したくてたまらなかった学校であったことや友達から聞いた話も、すっかり話したくなくなってしまった。

母から聞かれても、「そんなんどうでもいいじゃん」と思うようになってしまった。

 

母からの忠告もそうだ。「こういう時はこうしなさい」とか「こういう時はこうしてはだめ」といった忠告をうっとうしいと思うようになった。

 

どうしてうっとうしいと思うようになったか。それはおそらく、僕の考える「こうしたい」とか「これはしたくない」と母の意見が正反対だったからだと思う。

 

母が「こうしなさい」と言えば、僕は「こうはしたくない」と思う。

母が「こうしてはだめ」と言えば、僕は「じゃあこうしてやろう」と思う。

 

そんな時期がけっこう長く続いた。

 

大学の入る直前まで続いた。

 

そもそも高校の時進路を決める際にも僕は親の意見を一切聞かなかった。

そんな僕の気持ちを知っていたのかどうかは分からない。うちの両親は僕の進路について一切の口出しをしてこなかった。

「自分の進路は自分で決めなさい。あんたが自分の頭で悩みぬいて、納得して出した答えなら、私たちは応援するよ」と言われた。

 

その時僕は「これからは両親と仲良くしよう」と心に誓った。

 

母親をうっとうしいと思う。誰でも通る道かと思うと、どうやらそうではないみたいだ。

 

どうやら子どもの頃から大人になるまで、一貫して両親と仲が良く、口答えなどしたことがない、超優等生タイプの友人もいるにはいる。

 

今思うと、「なんであんなに両親の言うことを素直に聞けなかったんだろう」と思う。

 

でも、両親と考え方があわなかったあの時期があったからこそ、人の意見を聞くことの大切さが学べたんだと思う。

 

もちろん極端な例(親に手を出したり、自分を傷つけたり)はよくない。

 

でも、家庭という小さな小さな社会の中で、意見のぶつかり合いを通して、譲り合いとか、他人の意見を尊重するということを学ぶのだと思う。