数学なんて勉強して何の役に立つんだ?
数学なんて何の役に立つんだ?
多くの中学生や高校生がそうおもっていることでしょう。
僕もそうでした。
これからの人生でこうして数式を一生懸命眺めて答えを出そうと頭を痛めることなんてあるのか。
そもそもこんな生活の役に立ちそうもないことを勉強して何の役に立つんだろと思っていました。
国語(日本の場合は日本語)を勉強するのは何となく分かります。何となく生活に直結しているような気がします。
私たちが日常的に触れている日本語です。本を読む時、新聞を読むとき、テレビを観るとき、人と喋る時。私たちの周りは日本語であふれています。だから、国語を学ぶことに対して疑問を抱く人は少ないと思います。
英語もそうです。これだけ多くの人に「英語は大切だ。これからの社会では英語くらいできないと困る」と言われると、いやでも英語の重要さに気づくと思います。
大人になったら海外に行く機会があるかもしれない、将来外国人と一緒に仕事をするかもしれない。そう考えると、今英語を一生懸命勉強しておくのが得策だと思えるかもしれません。
他の理系科目はどうでしょう。化学、生物、物理etc...これらの科目を勉強して何かの役に立つのでしょうか。これらの理系科目は、何となく生活の役に立つような気がしませんか?なんとなくですけど、普段の生活の中で、化学や物理の知識があったほいがいいような場面があるような気がします。でも、化学や物理にもややこしい数式が登場します。これは数学の知識がないと解くことができませんよね。
だから数学が重要?そうなのでしょうか?
数学は化学や物理を学ぶのに必要だから大切なのでしょうか?
そうかもしれません。中学や高校で学んだ数学が、化学や物理を学ぶ時に役立ちます。そもそも、数学がある程度できなければ化学や物理の問題を解くことはできません。もっと言うと、小学校で学ぶ算数をきちんと理解していないと、中学校の数学についていくことができません。
数学(算数)は小学校から高校までずっと私たちに付きまとう厄介な科目なんですね。
ということは、小学校で算数を勉強するのは中学校の数学を理解するためで、中学校で数学を勉強するのは高校の数学、化学、物理などの科目を理解するためなのでしょうか。
僕は数学が苦手でした。でも、一生懸命に勉強しました。どうしても苦手意識があったので、最後まで好きになることはできませんでした。それでも、周りのみんなについていこうと一生懸命に勉強しました。好きにはなれませんでしたが、問題を解くことはできました。
数学自体は好きになれませんでしたが、問題を解くのは好きでした。なんだか矛盾しているような気もしますが、これは人間として当たり前の感情だと思います。
「以前できなかったこと」ができるようになった。そうすると私たちは喜びを感じます。達成感のようなものも感じることができます。
だから、数学なんて勉強して何の役に立つんだなどと考える前に、「できなかったこと」ができるようになる喜びを感じる楽しさを実感すべきです。
とにかくやってみるんです。いくら数学が嫌いで、数学なんてどうでもいいと思っていても、数学に苦手意識があったり、どうしても解けない問題があったりすると心の中のどこかで悔しい思いをします。そこで「こんなこと勉強して何の役に立つんだ」などと思う前に、もう一度チャレンジしてみる。一つの問題を自分が納得するまで解いてみる。その問題が解けた時に感じた「嬉しさ」や「達成感」を覚えておくのです。
私たち人間にとって、「できなかったこと」ができるようになるというのは最大の幸福なのかもしれません。
ですから、「どうして数学を勉強するの?」の答えは、「幸せになるため」なのかもしれません。