朝の読書

 

 

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俺がいたアメリカの高校では、「朝の読書」が行われていた。

 

「朝の読書」は、日本の学校でも行われているようだ。

 

「朝の読書」は、先生と生徒が毎朝10分間、各々が好きな本を読む。

 

各々が好きな本を読むので、テストもなければ宿題も出ない。

 

毎朝、先生と生徒が好きな本を読む。ただそれだけ。

 

読書の習慣を生徒に身につけさせることが狙いだ。

 

アメリカの学校では、広く行われていた「朝の読書」だが、日本でも多くの学校で行われているらしい。

 

毎朝10分間だけ好きな本を読む。

 

これまで本を読まなかった生徒でも、毎朝10分間だけなら苦にならないはずだ。そして、テストもないし宿題も出ない。

 

俺のクラスの担任の先生は、黒人のおばあちゃん先生で、読書が大好きな人だった。

 

常日頃から「読書の大切さ」を生徒に口酸っぱく説いていたが、なんせ勉強や読書以外にも楽しいことが山ほどある高校生だから、「読書の大切さ」なんて分かるはずがない。

 

大体、読書というのは、他人に強制されてするものではない。

 

「好きな本」を読むというのが重要だ。

 

おばあちゃん先生は、最初「クラス文庫」を作って、生徒にクラス文庫の中から一冊選ばせて、自宅で読むように指示した。

 

「クラス文庫」の本は先生の趣味で選ばれ、読後感を書く課題も課された。

 

先生と生徒では年齢の差もあるし、世代の違いから来る「嗜好の違い」というのもある。

 

時代遅れの古臭い本を生徒が進んで読もうとするわけがない。

 

生徒は、「クラス文庫」の本を一応家に持ち帰ってはいるが、どうやら読んでいないようだ、ということに先生は気付いた。

 

なぜなら、読後感がでたらめに書かれていたからだ。

 

うちのクラスの担任は、「それではいけない」と思った。

 

そして、「クラス文庫」を廃止した。

 

「クラス文庫」の代わりに、生徒が好きな本を読んでいいことにした。

 

歴史小説が好きな生徒もいれば、推理小説が好きな生徒もいる。

 

小説より学術書のほうが好きな生徒もいる。

 

本なんか大嫌い!だけど、漫画は好き!という生徒もいる。というか、そういう生徒のほうが多い。

 

そこで、先生は、なんと「漫画でもOK」とした。

 

そして、生徒の自宅で読ませるのをやめた。

 

最初はもしかしたら「生徒は家で本なんて読むわけがない。私の目の前で読ませて監視しなければ」と思ったのかもしれない。

 

そして、毎朝10分間学校の教室で読ませることにした。

 

それが功を奏した。

 

学校の教室でみんな一斉に読む。

 

「みんな読んでいるんだから、俺も読もうかな」心理が働き、みんな集中して読むようになった。

 

そして、読後感の課題も廃止したから、生徒は気軽に読むこともできる。

 

先生も一緒に教室で読むから、騒がしい生徒の監視にもなる。

 

そして、10分間という短い時間なので、集中して読むことができる。

 

毎朝読書の習慣がつくと、最初は漫画を読んでいた生徒も小説を読み始める。

 

漫画を読んでいた生徒は少数派だったし、漫画を読んでいては、他の生徒が小説について話しているのについていけない。

 

さらに、多くの生徒が、「10分間は短すぎる」と思うようになった。

 

「毎朝10分間」というのは読書の習慣をつけるのには最適な時間だったかもしれない。

 

だけど、「読書の習慣」がついた後は、10分を短いと感じるようになる。

 

先生は、「じゃあ、もっと読んでみようか」とは言わない。

 

あくまで「毎朝10分間読書」を続ける。

 

もっと読みたい生徒は、先生に指示されなくても、自発的に読むようになる。

 

例えば、休憩時間や放課後家に帰ってからの時間を利用して、「朝の読書」の続きをするようになる。

 

クラス全員が読書好きになったわけではないが、今まで本を読まなかった生徒が、少なくとも毎朝10分読書をするようになった。

 

それだけでも「朝の読書」は成功したと言えるだろう。

 

さらに、生徒の「作文能力」も向上した。

 

「いい文章を書くためにはいい文章を読まなければならない」は本当なのだろう。

 

読書の習慣がついたことで、多くの文章に触れるようになった。

 

そのおかげで文章を書くのも上手になったというわけだ。

 

先生は、「読書は競争ではない」と言った。

 

読書はテストとは違う。

 

読むスピードや読んだ量を競うものではない。

 

自分が好きな本を好きな時に読むのが、読書が持つ本来の姿だと言える。

 

先生は、「毎朝10分間」だけ読書を強制した。

 

それ以外は何も強制しなかった。

 

読む本は生徒が自由に選ぶことができ、「毎朝10分間」以外は、読んでも読まなくてもいい。

 

読むスピードは遅くても速くてもいい。

 

テストも課題もなし。

 

そして、生徒は読書が好きになった。

 

読書に関しては、生徒の自由にさせたほうがいい。

 

そして、先生は生徒に大切なメッセージを伝えた。

 

「本を読むだけの人間にはなってはいけない。本を読むのは大切だけど、ほかにも大切で面白いことはたくさんあるの。釣りの仕方をいくら本で読んだとしても、釣りの面白さは実際にやってみないと分からないでしょ。読書を趣味にするのはいいけど、それだけじゃだめ。いろんなことをやってみたほうがいい」