嫌な時代に生きてるねあんたたちは
うちの母がなんとなく言った言葉。
「あんたたちは嫌な時代に生きてるよね。これからどうなるのかねえ」
まるで他人事であるかのような口調。まるで自分たちの時代は既に終わってしまったかのような言い方。
まあそれはいいとして。
私たちが嫌な時代に生きている。母がそう言う理由はこうだ。
どこにでもありふれた「昔はよかった」というセリフ。
私たちが生まれた時、世は既に平成で、今も平成の世に生きている。
それは私たちのせいでもなければ、私たちを産み育ててくれた両親たちのおかげでもない。
そういうものだから、そういうものなだけだ。
これもありふれたセリフであるが、私たちは別に平成の世に生まれたくて生まれたわけではない。ただ単にそうだっただけだ。
私たちの過去も平成であり、今生きているのも平成で、これからしばらくは平成の世を生きることになるのだと思う(こればかりは誰にも分からないけど)
だから、私たちは昭和を知らない。私たちが昭和を知らないのは、私たちのせいでもないし、両親たちのせいでもない。
これもただ単にそうだったから、そうだっただけ。
運命と言えば聞こえはいいが、私は昭和の世の中も見て見たかったなあ、とひそかに思っている。
現在と過去を比べて、「ああ、あの頃はよかった」とか、「ああ、今の世の中はどうしてこうなんだろ」とか言っても仕方がないのは分かっている。
でも、私たちよりずっと長い間この世に生きている大人たちの話を聞くと、どうしても昭和の世の中のほうが今の世の中より良く聞こえる。
もしかするとそれは私の気のせい、勘違いなのかもしれない。「いやいや、今は昭和よりずっと便利になったよ。携帯電話だってできた。今はスマホだってある。テレビの画面のずっと綺麗になったんだよ」と言う人だっているかもしれない。
昭和という時代は、やはり戦争なしでは語れないのだろう。
多くの人がお国のために命を落とした。多くの人が戦争のために貧しい生活を強いられた。戦争のせいで愛する人と引き裂かれたしまった人もたくさんいただろう。
正直、私たちの世代にとって戦争とは遠い過去であり、戦争を語るには遅く生まれすぎたと思う。私たちにあの時の戦争をとやかく言う資格はないと思う。
戦争が終わった後、日本は高度経済成長期を迎えた。長い間、日本の経済は右肩上がりだった。
戦争と経済成長。どん底と頂点。その両方を知っている現在のお年寄りは、やはり強い。バブルが弾け、経済成長が止まり、長い不況の時代に生まれ育った私たちは弱い。
私の身の回りにいるお年寄りは学歴なんて気にしない。学歴なんかなくても金を持っている。学歴なんかなくても幸せな家庭を築いたし、家だって建てた。年金だってもらえている。学歴なんて所詮番号と一緒、記号のようなもの。大事なのは、学校を出た後、いかに強く生きたか。お年寄りの生き方は私にいろいろなことを教えてくれる。
だから、私はお年寄りとの交流を大事にしている。彼らから学べることが必ずある。
命は有限である。だから、私は急がなければならない。
昭和の世の中を生きた人たちからもっと多くのことを学ばなけれなならない。
今の世の中を生きている私たちは過去を見ることはできない。私たちにとっての過去とは、所詮テレビの画面や本の文字からしか知り得ることができないものである。私たちよりずっと長い間この世で生きている大人たちから学ぶことによって、私たちは過去をよりリアルに知ることができる。私はそう思っている。
でも、私たちが生きているのはあくまでも現在だ。そして、現在は未来に繋がっている。
過去を現在、そして未来に繋げる。それが私たちに課された使命だと思う。全てはよりよい現在、よりよい未来のために。
私は、嫌な時代を生きているなんて思わない。
今の時代を嫌な時代だと思うのは嫌だ。
良い時代だと思いたい。
だから、現在を過去と比較して、ああだこうだ言うだけでは意味がない。
良いところを学び、悪いところを直し、自分たちの未来をつくっていかなければならない。
とにかく、私は嫌な時代を生きているとは思わない。