最強の外国語学習法

最強の外国語学習法を紹介したいと思います。

 

どんな外国語にでも使えると思います。

 

確証はありません。言語習得はまだ分かっていないことが多いので、「100%そう!」と言えることは少ないのですが、どんな外国語にでも使えるというのも、僕は3つの言語しか話せないし、そのうちの1つが母語の日本語なので、英語と中国語に関してしか言えません。しかも、僕が勝手に考え出して実践したことなので、どんな人でも使えるのかどうかは分かりません。これを念頭に置いて読んでください!

 

さて、僕が勝手に最強だと考えている外国語学習法、それは「一人インタビュー」です。ある時期は「一人ラジオ」とも呼んでいました。

 

やり方はいたって簡単です。要するに、「一人二役」です。

 

インタビューする人(A)とインタビューされる人(B)の二役を一人でやるわけです。

 

「こんばんは。Bさん。今日はBさんのOOについてお聞きしたいのですが、まず...」

 

「はい。よろしくお願いします。OOに関しては、本当に...」

 

みたいなことを一人で、しかも頭の中でやるわけです。

 

頭の中で妄想して、それを外国語でやるわけです。

 

一人ラジオの場合は、ラジオのパーソナリティとゲストを一人二役でやるわけです。要領はインタビューと一緒です。頭の中で、二人の会話を妄想して、実際にやってみるわけです。

 

声に出さずにやってもいいですし、声に出してやることができればより効果的かもしれません。

 

僕はトイレの中やお風呂の中で声に出してやっていました。

 

大体、外国語学習にたくさんの時間を使うことができる人なんてそんなにいません。

 

上手になった人は皆空き時間を上手く使って頑張った人です。

 

「一人インタビュー」は一人で、そしてどこでもできます。

 

声に出さなければどこでもできますよね。電車の中でも、寝る前でも。

 

空き時間にやるにはもってこいです。

 

空き時間にできるのは分かったけど、どうしてこのやり方がいいの?と思う人もいると思います。

 

僕はそれを完璧に説明することはできませんが、ある程度であれば説明できます。

 

「インプットだけで言語習得は可能だ」というのが「インプット仮説」ですよね。

 

でも、インプット仮説には落とし穴があるんですよ。

 

どういうことかと言うと、もし親が難聴で話すことができないとします。

 

母親と父親同士は手話でコミュニケーションをとります。でも、両親は子どもに対しては手話を使いません。つまり、子どもには話しかけなかった。つまり、両親からのインプットはなかったということです。

 

その子どもがどこからインプットを得たかというと、テレビやラジオです。

 

結論から言うと、その子どもは4歳くらいの時に保護されたようなのですが、その子どもの言語能力は同年代の子どもと比べるとかなり劣っていたようです。文法がかなり不自然だったと報告されています。

 

このケースでは、テレビから聞こえた音声だからダメだったのか、それともその子どもが注意を向けていなかったからなのかは分かりません。

 

一つ言えるのは、その子どもの両親は難聴であり、両親に話しかけることはできないということです。

 

ということは、その子どもにとって、「アウトプットをする理由」「アウトプットの必要性」がなかったわけです。

 

そして、その子どもはインプット(テレビからのインプットですが)はあったが、言語習得が上手くできなかった。

 

つまり、インプットだけでは不十分だということになります。

 

でも、「インプット仮説」から、インプットは言語習得において必要不可欠だということが分かっています。

 

必要不可欠ではあるけど、それ以外の何かが必要だということになります。

 

では必要なのはインプットの反対、つまりアウトプットでしょうか?

 

そういうわけではありません。

 

それまでことばを発さなかった子どもがある日突然完璧な文を話し始めることがあります。

 

それまでアウトプットをしてこなかったのに、ある日突然正しい文を言えるようになった。

 

これはどうしてなのでしょうか?

 

それは、その子どもにアウトプットの必要性があったからです。

 

それまでアウトプットをしてこなかったけど、その必要性は感じていた。

 

その子どもは頭の中でリハーサルをしていたのです。

 

頭の中で話していたのです。

 

様々な理由でことばを発さなかったのですが、いつか話さなければいけない(アウトプットの必要性)ことは分かっていた。だから、その時のために頭の中で準備していたのです。

 

同じことがSLAについても言えると思います。

 

SLAの場合でも、インプットだけでは不十分なのです。

 

インプット+アウトプットの必要性が必要です。

 

アメリカに留学していて、周りに日本語を話せる人がいないとします。

 

すると、周りの人と話すためには英語を使う必要があります。

 

僕もそうでしたし、多くの人が「僕も同じだった」と言っていたのですが、そういう時必ずといっていいほど、頭の中でリハーサルするんです。

 

もちろん意識的にやっていることもありますし、無意識的にやっていることもあります。

 

意識的にやるのは、例えば、これから英語で面接がある。つまり、英語を話さなければならない。だから、頭の中で何を話すか考えるわけです。その時、何を話すかだけを考えることはなく、必ず「どうやって言えばいいか」まで考えます。

 

このように口に出すか出さないかは別として、頭の中で英語を話すので、結果、英語を話す時間が増えます。そして、これが「英語で考える」ということになります。

 

よく「英語を上達させたければ英語で考えろ」と言われますが、その前提となるのが、英語でアウトプットをする必要性です。必要性がないと、英語で考える必要も生まれません。

 

その必要性を頭の中で作るわけです。

 

自分に言い聞かせるわけです。

 

今から英語でインタビューする(される)から準備しなきゃ。

 

 

何を喋ろうか?

 

 

内容が決まった。

 

 

どうやって喋ろうか

 

を一人でやるわけです。

 

もちろんこのやり方では、アメリカにいる時のようなリアルな必要性には負けます。

 

でも、日本にいながらにして、常に英語を使わなければならない状況にいる人は少ないはずです。

 

だったら、その状況を自分で作ってやろう!ということです。

 

これでアウトプットの必要性を自分で作り出すことができます。

 

そして、「一人インタビュー」をする時に、頭の中で何をしているかというと、自分が知っている知識を総動員して、文を組み立てる、相手と対話する、相手の言っていること(正確には自分が言っていることですが)を自分なりに解釈するなど、かなり高度な認知活動をするんです。

 

これがこの方法が最強である理由です。

 

皆さん、どう思いますか?