語学と才能
「努力」と「才能」。
これはもしかしたら私たち人間にとって永遠のテーマかもしれませんね。
自然を相手にする釣りでも才能はある程度関係すると思っています。
釣りの場合練習というものがありません。いつもぶっつけ本番です。
知識と場数がものをいう世界です。
ある日釣りをしていた時にふと頭に浮かびました。
才能ってすごく便利な言葉だけど、普段私たちが何気なく口にしている才能って言葉、結局は何か他の素質の言い換えなんだなあ、と。
釣りの才能というのは結局のところ「勘」の言い換えです。
「勘」は「読み」とも言い換えられます。もしかすると「器用さ」の言い換えかもしれません。
それを私たちは才能と言っているんですね。
いろいろな素質を一括りにして「才能」と呼んでいるわけです。
なんか、その時分かっちゃったんですよね。
「才能」って言葉は物凄く便利だけど、実は「才能」ほど実体がなく分かりにくい言葉はない。
でも、その才能にも実体があったんです。
才能はつまり何かの言い換えに過ぎない。
「才能がない」なんて言われるとものすごく絶望的な感じがしますが、「その才能って何?」と考え、他の言葉に言い換えてみるとちょっとは気持ちが楽になります。
例えば、釣りの場合、才能=勘や読みでしたが、才能一言ではそれが一体何を指すのか分かりませんでしたが、勘や読みに言い換えると、ちょっとはすっきりしますよね。
「才能を磨く」なんて聞くと、「えっ?一体何をすればいいの?」と思ってしまいますが、勘や読みであれば、何か対策が立てられそうです。
語学の場合はどうでしょう。
「語学の才能」は他のどんな言葉に言い換えられるでしょうか。
おそらく語学の才能は「語感」という言葉に言い換えられると思います。
「語感」は鍛えることができないのかと言われると、私はそんなことないと思います。
どうすればいいかと言うと、語学の場合も釣りと一緒で、とにかく場数を踏めばいいのです。
実際の会話だけが場数というわけではありません。
とにかく目標言語に触れるのです。
インターネットでも本でも構いません。音楽でも映画でもいいです。
とにかく「リアルなことば」にたくさん触れてください。
言語は人間が他人とコミュニケーションをとるために日常的に使っているものです。
私たちが普段話している言葉を考えてみればすぐ分かります。
言語に正解なんてないんです。
そして、人間が使用しているものである以上、同じ人間の私たちにできないわけはないんです。
でも、遠く離れた場所に住み、文化背景も異なる人たちが話す言語には、私たちが使う言語とは違う部分がたくさんあります。
その違いを理解し乗り越える能力こそがいわゆる「語感」と呼ばれるものです。
違いというのは「壁」です。
その壁を乗り越えるために、私たちは何回もその壁にぶつかります。体当たりするわけです。挑戦するわけです。
何回も何回もぶつかっていればその壁もいつかは崩れます。
とにかくリアルな言葉にたくさん触れる。そうすれば必ず壁は乗り越えられます。
何事も「才能」の一言で片づけてしまうと、「無理」とか「絶望」のような言葉が頭に浮かんでしまいます。
でも本当はそうじゃないんです。
「才能」って一言でいうけど、その才能の中身って何だろう?と考えることから始めましょう。
才能を別の言葉に言い換えてみます。そうすると「才能」というものがさっきよりちょっとだけクリアになります。
才能の中身が分かれば、対策を講じることができます。
何をすべきかが分かれば、あとは私たち凡人が得意な「努力」で乗り越えましょう。
「才能」という壁も実は努力で乗り越えられる。
そして、「努力」を始めたのなら、次は「努力の仕方」を工夫すればいいのです。
あれこれ試してみるのも手です。
ちょっと別の角度から考えてみるのも手です。
そうやってあれこれやっているうちに「才能」なんてよく分からない言葉に悩むことはなくなります。
「才能がない」と思い込んで諦めるなんて馬鹿馬鹿しいです。
ちょっと頭をひねってみましょう。
「才能」は考え方と努力と努力の仕方で乗り越えられるんです!!