「知っている」と「知らない」

当たり前のことだけど、「知っている」と「知らない」では天と地ほどの差がある。

 

うちの大学にもたくさんいる「知らない」ことを自慢する人たち。

 

本人は自慢しているつもりなんてないのだろうけど、何かにつけて「そんなこと知らなくて当たり前」の雰囲気を醸し出してくる。

 

知らないことは恥なんだと思わないのか。

 

どんなことでも、まず、知っていなければ始まらないと思う。

 

知っていることは強みだと思う。

 

もっといいのは、知っていて、さらに「できる」こと。

 

その先に、「極める」という境地がある。

 

「知らなくて当たり前」で何でも済ませてしまう人は、ただ単に面倒臭がり屋なのかもしれない。

 

「そんなん知って何になるの」と思っている人も、それを知るということに労力を注ぐのが面倒臭いだけの人たちなのかもしれない。

 

結局、面倒臭がり屋というのは損だ。

 

なんでも「面倒臭い」の一言で済ませてしまう人は、本当に大きな損をしていると思う。

 

面倒臭いと思わずに、挑戦していれば、新たな世界が見えてくるかもしれないのに。

 

面倒臭いけど行ってみたら、やってみたら良かった、ということは往々にしてある。

 

それで、人生が変わるかもしれない。

 

そんなチャンスをみすみす逃すのはかなりもったいないと思う。

 

俺は自分の首を絞めたくないし、損をしたくないから、面倒臭いという気持ちを克服して、なんでも知ってやる、ものは試し、なんでもやってみようと思って日々の生活を送っている。

 

どんなことでもそう。

 

まずは、「知る」ことから始まる。