自分で選びなさい

自分の両親の教育方針を褒めたりけなしたりするなんて私にはできない。

育ててもらった恩もあるし、今更両親の教育方針についてあれこれ言ったって仕方がないと思うからだ。

だから、私が覚えている限り詳細に、事実だけを書こう。

子供は親に何かを買ってもらうと嬉しくなるものだ。

誕生日プレゼントやクリスマスプレゼント、特にこれといった意味はないけどもらえるプレゼント。

どれも嬉しい。

誕生日プレゼントに何が欲しいか聞かれると、私は毎回「何でもいい」と答えていた。

そして毎回怒られた。

「何でもいい」はダメ。

どうして?と聞くと、「何でもいいっていうのは便利な言葉だけど、大人になって何でもいいって言うと馬鹿にされるんだぞ」みたいな答えが返ってきた。

確かに「何でもいい」は便利だ。

欲しいものがない、または決まっていない、または決まっているが言いたくない場合などに使える便利な言葉だ。

しかし、「何でもいい」はとても弱い言葉でもある。

自分の意見が言えない。

恥ずかしいから言えない。

断られるのご怖くて言えない。

弱気から出た「何でもいい」はとても弱い。

本当に欲しいものがない。それで「何でもいい」と言っても、それは意見がないのだとみなされ、弱い印象を与える。

だから、私の両親は私に「自分で選ぶ」ように命令した。

子供が欲しがるようなものなら何でも揃っているデパートに行って、決められた時間以内に決められた金額内の品物を選んで持ってくるように言われる。

金額内であれば品物は何でもいい。

本でもおもちゃでも、そのどちらでもなくても、とにかく何でもいい。

品物は何でもいいのだが、よく考えて選ぶように言われていたので、私は品物を選ぶのにかなり時間がかかった。

欲しいものを選ぶ際に考慮すべき点はいくつでもある。

それが本当に欲しいのか?

欲しい。

じゃあ、それを使って何をしたいの?

本当にそれじゃなきゃダメなの?

すぐ飽きやしないか?

頭の中でいろいろ考えて品物を選ぶ癖がついた。

そして私の両親は、私に「どうしてその品物を選んだか」理由を言わせるようにしていた。

どんな理由でも、筋が通っていれば買ってくれた。

筋が通っていないと、もう一度よく考えて選べと言われた。

おかげで私は、買う品物を選ぶのにとても時間がかかるが、買い物で失敗しない大人になった。

そして、常にあれこれ頭の中で考える癖がついた。

誰かに聞かれれば、頭の中で考えたことを言語化することもできるようになった。

だからどうした?と言われればそれまでだが、私は何でも自分で選ぶようにしているし、必ず理由を考えるようにもしている。

それがうちの両親の教育方針だった。

そして成功したと言って差し支えないだろう。