本音と建て前は至る所に存在している

本音というのは、自分が本当に思っている、考えていること。

 

建て前は、別にそうは思っていないけど、とりあえずそう言っておけば大丈夫だろうということ。

 

人間なら誰しも、程度の差はあれど、本音と建て前を上手く使い分けている。

 

日本人でも外国人でもそれは同じだと思う。

 

ただ、日本語では、本音を言う時に使う言葉と建て前を言う時に使う言葉の乖離が激しいので、よく「日本人はなかなか本当のことを言わない」と批判される。

 

しかし、人間というのは、本音と建て前を使い分けなければ生きていけない。

 

本音と建て前を使い分けられないからといって死んでしまうようなことはないが、いつか疲れてしまうと思う。

 

最近、フロントガラスの下に「私たちは優しい運転をします」みたいなメッセージを貼り付けている大型トラックをよく見るが、あれもよく考えたら「本音と建て前」だ。

 

「私たちは優しい運転をします」というのが建前で、「ちんたら運転してたら仕事にならんわ」というのが本音だと思う。

 

あのメッセージを真に受けて、大型トラックに挑戦すると、絶対にこっちが損をする。

 

全ての大型トラックが乱暴な運転をするわけではないが、「大型トラックは怖い」というにが我々一般人が大型トラックに対して持つイメージである。

 

私たちの本音では、「大型トラックは危ないから、近づかないほうがいい」と思っている。

 

「私たちは優しい運転をします」を掲げているトラックに強引な割り込みをされたり、免許取り立ての女の子に罵声を浴びせていたのを何回も見た。

 

トラックの運転手にしてみれば、さっさとモノを目的地に送り届け、仕事を終えて家に帰りたいというのが本音だから、「私たちは優しい運転をします」と一応言っているけど、心の中では「そんな優しい運転なんてしてたらだるくてかなわん。さっさと行けやボケ」と思っているに違いない。

 

本音と建て前なんて私たちの生活の至る所にあふれているので、いちいち気にしていてはいけない。

 

「そういうもんだ」と思っていればいいと思う。