天国への百マイル

浅田次郎さんが書いた『天国までの百マイル』を読みました。

田舎の小さな本屋でたまたま手にとった本。

あまり期待はしていませんでした。

なんとなく面白そうだと思った。ただそれだけ。

読み始めてすぐに気づきました。

これは映画にもなっていて、俺はその映画を観たことがある。

観たと言ってもわざわざ千何百円も払って映画館で観たわけではなく、友達がDVDを持っていて、それを借りて観ただけ。たしか時任三郎さんが出てた。

話の内容は覚えていません。

だから、ある意味、ぼんやりとしたイメージだけで、ほとんど何もない状態で読み始めることができました。

浅田次郎さんの本も、読んだことあるのかもしれないけど、名前がパッと思い浮かばないので、著者に関する予備知識や作風なんかも全然知りません。

だから素直に、スーっと読み始めるこてができました。

私の母はまだ生きています。
これから何年も行き続けると思います。
そして私はそれを心の底から願っている。
私の家は四人家族です。
父、母、私が長男で、妹が一人。
まあまあ裕福な家庭で育ちました。
まあ、田舎なのでお金を使う場所があまりないだけなのかもしれませんが。
今思うと、思春期の頃の私は、我が家にとって爆弾のようなものだったかもしれません。
所謂不良のようなことはしませんでした。
私は、無鉄砲でした。
後先考えず突っ走る。人に迷惑をかけているという自覚がない。
よく家を抜け出し、ひたすら歩いていました。
理由は、なんてことない、ただ両親が嫌いだったからです。
嫌いと言うのは語弊があるかもしれません。
鬱陶しいと思っていたと言うほうが適切かもしれません。
私の両親は、勉強のことについては一切口出ししませんでした。
勉強のことより、家や学校での態度、妹に対する接し方をよく注意されました。
私は、単純に面倒くさいと思ったのです。
だから、家を出て、気が済むまで歩き続けました。
私の実家は愛知県と岐阜県の県境にあるのですが、ある日いつものように家をフラッと出て、気が付いたら岐阜県の白川町にいたこともありました。
私の母は、私が何かの病気ではないかと本気で心配したそうです。
だって、気が付いたら息子が家からいなくなっている。しかも携帯は繋がらない。どこにいるか見当もつかない。
友達に電話して聞いてみても、皆知らないと言う。
そりゃそうですよ。当の本人もどこへ行くかなんか決めずに家を出たんですから。
三日経っても帰ってこなかったら警察に捜索願いを出そうと考えていたらしいです。
とにかく母には迷惑をかけました。
今も心配かけ続けています。
こんな私でも時々ふと考えることがあります。
母にとっての幸せってなんだろう?
どんな時に母は幸せを感じるのだろうか?
三ヶ月前に祖母が亡くなりました。
私はその頃実家を離れていたので、祖母の病気のことは知っていましたが、入院していることは知りませんでした。
いや、あの時なんで電話の一つでもして、祖母は元気か聞かなかったのか。もし私から聞いていれば教えてくれたかもしれません。
正直今でも、どうして誰も教えてくれなかったのか分かりません。
朝早く、突然電話がかかってきて、おばあちゃんが亡くなったとだけ伝えられて、私はすぐに電話を切りました。
10分くらいボーッとしていたと思います。
煙草に火をつけた瞬間に涙が溢れ出して止まらなくなりました。
昼まで泣き続けました。
お通夜も葬式の間もずーっと、私だけ泣いていました。
孫を代表して挨拶をした時も、泣いていました。
初めて自分の知り合いが亡くなった。
しかも大好きだった祖母が亡くなった。
そして祖母が亡くなるまで誰も教えてくれなかった。
そんなことが悲しかったんじゃありません。
最初は怒りに近い感情をいだきました。
でも私はすぐに理解することができました。

おばあちゃんともって話がしたかった。
もっと話を聞いて欲しかった。
会いたかった。
手を握りたかった。
おばあちゃんの手料理を食べたかった。
私の結婚式に呼びたかった。
ひ孫の顔を見せたかった。
おばあちゃんの笑顔を見ていたかった。

あの時心に誓いました。

おばあちゃんに褒めてもらえるように頑張ろう。

その気持ちを思い出しました。

以上