作文 「将来の夢」
今日実家の部屋を整理していたら古い段ボール箱を見つけた。
何が入っているんだろうと思って開けてみると、小学校の頃の教科書やノートがぎっしり詰まっていた。
正直、そんな箱があることさえも忘れていた。
そういえば確か僕が小学校を卒業し中学校に上がる前の春休みに、一家総出で実家の大掃除をしたんだ。
その時母が「あんたの教科書とかノートはこの箱に入れておくからね」と言ったのを思い出した。
確か僕は「そんなん捨てちゃえばいいのに」と答えたと思う。
小学生の頃の僕は夢がいっぱいあった。
教科書とノートの山に挟まっていた「将来の夢」と題した作文にはこう書いてある。
僕の夢はお笑い芸人になることです。
てっきりプロ野球選手になりたいと書いたものだと思い込んでいた。
あの頃僕の生活は、野球、釣り、お笑い番組の3つで構成されていた。
4つ目の勉強は本当にときどきするだけ。
一番熱中していたのは野球だと思っていた。
心の中のどこかで記憶を美化していたのかもしれない。
プロ野球選手になるとお笑い芸人になるを比べると、どうしても前者のほうが響きがいい。
今当時を振り返っても、どうして小学生の僕はお笑い芸人になりたかったのか思い出すことができない。
当時(今でもそうだけど)ダウンタウンが大好きだった。特に浜ちゃん。
ああいう大人になりたいと思っていたのははっきり覚えている。
誰に対してでも気さくに接する浜ちゃんが大好きだった。大物にも平気で頭を張る。
後で、本当は物凄い気遣いをしているということを何かの番組で知ってますます尊敬するようになった。
もしかするとそれに影響されて、僕もお笑い芸人になろうと思ったのかもしれない。
ガキの使いの収録を見に行きたいと親に頼んだことがあった。速攻で却下されたけど。
今となってはなぜ当時の僕がお笑い芸人になりたかったのかは謎だが、どうやら当時の僕は本気だったみたいだ。
作文の続きにはこうある。
高校はいわゆる進学校に行く。そして、高校を卒業したら吉本興業の養成所に入る。頭のいい高校から吉本にいくなんてすごくかっこいいと思う。
今はまだコンビでやるかピンでやるかは決めていない。トリオで売れているお笑い芸人はあまりいないからやめたほうがいいかもしれない。
なんか顔がじわーっと熱くなる。
結構細かいところまで考えていた自分がなんだか恥ずかしい。
でもみんなそうだったんだろうな。
何かを一生懸命に夢見て、でもほとんどの人はその夢をどこかであきらめちゃって。
もちろん子どもの頃の夢にむかって一心不乱に努力して、実際にその夢を実現させる人もいると思う。
でも、たいていの人は途中で諦めちゃうか、夢自体が変わっちゃうんだろう、と思う。
僕もそうだった。
お笑い芸人の次は軍人になりたいと思った。
でも、厳密にいうと日本には「軍人」という職業はないことを知った。
軍人の次は、バッティングセンターを経営しようと思った。
理由は、単純。バッティングセンターが好きだったから。
他にもたくさん夢があったはずだけど、よく覚えていない。
これから大学を卒業して、普通のサラリーマンになるのだろうか。
サラリーマンが嫌だとは思わない。
だけど積極的になりたいと思うわけでもない。
大学生になった今なら、自分の人生自分次第でなんとでもなると思えるようになった。
全ては自分次第。
もしあの頃お笑い芸人になる夢を捨てずに、高校卒業後本当に吉本に入っていたら、僕は今頃どこでなにをしているのだろう。
人生にIFはない。
もしあの頃ああしていたら、という話はするだけ無駄だ。
だって、あの頃の僕はああしなかった。これが事実だから。
逆にあの頃の僕がこうしたから今の僕はこうなのである。
あの頃の僕は周りの勧めに従って大学に進学することにした。
だから僕は今大学生なんだ。
当たり前のことだけど、改めて考えると、選択が人生を動かしているんだなあと思い知らされる。
後悔のないように自分の納得いく選択をしなさい。
大人はそういうけど、それはちょっと違うと思う。
その選択が正しいものであったか、または間違っていたかは、死ぬ間際にならないと分からないんじゃないか。
死ぬ間際に、「ああ、いい人生だった」と思えればそれでいいんじゃないか。
我ながらおっさん臭いことを考えるもんだ。
でも、あの頃本当に吉本に入っていたら今頃僕は何をしてるんだろう。
台湾総統選
FacebookにこんなGIF画像がアップロードされていました。
ニュースリンク
藍營超慘烈!73席區域立委只拿20席 東、南部全輸 | 要聞 | 即時 | 聯合新聞網
まず、これは台湾です。知らない方もいると思うので一応言っておきます。
馬英九前総統が総統に選出された2008年、再選した2012年、そして昨日の総統選(2016年)における、台湾の各地域における国民党、民進党、無党団結連盟(2008年、2012年)、時代力量(2016年)それぞれが閉める議席の数を表したものです。
まるで緑の津波が台湾全土を襲っているようです。
緑とはもちろん今回の総統選で勝利を収めた民進党のことです。
2008年の段階では、国土のほとんどが国民党よりだったわけです。
それが2012年からの四年間ですっかり緑色に変わってしまいました。
73ある地域の中で、国民党が優ったのは20地域だけ。
民進党は49。時代力量は3。無党籍が1。
特に台湾南部と東部は全て緑色に染まっています。
国民党から総統選に立候補した朱立倫は総統選での大敗を受けて急遽大衆の前で謝罪をしました。
Facebookは民進党、そして蔡英文の勝利を讃える書き込みで埋め尽くされました。
台湾には中国大陸との微妙な関係があります。
心理的な関係、実利的な関係、いろいろあると思います。
今回の選挙は民進党の圧勝に終わりました。
ある台湾人の友達の書き込みを引用です。
「僕たち台湾人はもしかすると次の選挙では自分たちの総統を自分たちで選ぶことができなくなるかもしれない。今回の総統選における民進党の勝利には大きな意義があるが、これで終わりだとは考えていない。台湾がこれからも真に自由で民主的な国家であり続けるためには、国民一人一人が政治に関心を持ち、外からの圧力に屈しない心を持つことが必要だ」
僕たち日本人はどうでしょうか。
投票年齢が18歳に引き下げられたことを受け、若者の政治離れを食い止められればいいですが、どうでしょう。
日本には自分の政治的立場を堂々と表明することができる環境があるのでしょうか。
暗黙の了解で政治の話はしない、そんな状況も少なくないと思います。
収入と政治の話はタブー。それが日本かもしれません。
オンラインの世界では堂々と政治批判ができるが、オフラインの世界では政治関連の話題に口を閉ざす。そんな人も多いのではないでしょうか。
政治はややこしくて理解しづらい。これもまた確かにそうです。
第一政治に興味を持つか持たないかも個人の自由です。
台湾の人は、「自分の国のことぐらい自分たちで決める」気持ちがとても強いです。
それは「自分の国のことなのに自分で決めることができなかった」時代が長かったからです。
今回の台湾総統選から日本が学ぶべきところが必ずあると思います。
重松清『エイジ』 思春期について
小学生の頃なら、「お母さん、お母さん、聞いて」と玄関に駆け込んだはずだ。
息せききって、朝からのできごとをすべて母にしゃべっただろう。
しゃべらずにはいられない。
秘密を一人で抱え込んでいると胸が窮屈になって息苦しかったし、母の「こうしなさい」や「それはやめときなさい」の答えに従っていれば、たいがいうまくいった。
でも、いまは違う。黙っていることに息苦しさよりも、しゃべる面倒くささのほうがいやだ。
それに、母の「こうしなさい」や「それはやめときなさい」は、ぼくの「こうしたい」や「そんなのやりたくない」といつも食い違ってしまう。
世間を賑わした通り魔事件の犯人が同じ中学のクラスメートだと知ったエイジ。
家に帰った途端母に通り魔事件の犯人について聞かれる。
そんな場面です。
僕も小学生の頃は、とにかく誰かに話を聞いてほしかった。その日学校であった出来事や、友達と話したこと、家に帰ってから何をして遊んだかetc...とにかく自分の想いを誰かに伝えたくて仕方がない。そんな時が僕にもありました。
学校が終わり帰宅すると、キッチンのテーブルの上にはおやつが用意されている。
母は、いる時といない時があった。たいていは近所に行っているだけなので、すぐに帰って来る。そのちょっとの時間が待ち遠しかった。学校であったこと、友達から聞いた話、先生からの連絡事項etc...なんでもいいから話したかった。
話す相手はいつも母だった。なぜだろう。父親とはそういう話をした覚えがない。
僕が中学生になった頃、母の「今日学校どうだった?」の一言をうっとうしく感じるようになった。
ちょっと前まで、あれだけ話したくてたまらなかった学校であったことや友達から聞いた話も、すっかり話したくなくなってしまった。
母から聞かれても、「そんなんどうでもいいじゃん」と思うようになってしまった。
母からの忠告もそうだ。「こういう時はこうしなさい」とか「こういう時はこうしてはだめ」といった忠告をうっとうしいと思うようになった。
どうしてうっとうしいと思うようになったか。それはおそらく、僕の考える「こうしたい」とか「これはしたくない」と母の意見が正反対だったからだと思う。
母が「こうしなさい」と言えば、僕は「こうはしたくない」と思う。
母が「こうしてはだめ」と言えば、僕は「じゃあこうしてやろう」と思う。
そんな時期がけっこう長く続いた。
大学の入る直前まで続いた。
そもそも高校の時進路を決める際にも僕は親の意見を一切聞かなかった。
そんな僕の気持ちを知っていたのかどうかは分からない。うちの両親は僕の進路について一切の口出しをしてこなかった。
「自分の進路は自分で決めなさい。あんたが自分の頭で悩みぬいて、納得して出した答えなら、私たちは応援するよ」と言われた。
その時僕は「これからは両親と仲良くしよう」と心に誓った。
母親をうっとうしいと思う。誰でも通る道かと思うと、どうやらそうではないみたいだ。
どうやら子どもの頃から大人になるまで、一貫して両親と仲が良く、口答えなどしたことがない、超優等生タイプの友人もいるにはいる。
今思うと、「なんであんなに両親の言うことを素直に聞けなかったんだろう」と思う。
でも、両親と考え方があわなかったあの時期があったからこそ、人の意見を聞くことの大切さが学べたんだと思う。
もちろん極端な例(親に手を出したり、自分を傷つけたり)はよくない。
でも、家庭という小さな小さな社会の中で、意見のぶつかり合いを通して、譲り合いとか、他人の意見を尊重するということを学ぶのだと思う。
重松清 『エイジ』 シカトに対する考え方
入鹿池ワカサギ第二弾
行ってきました。
愛知県犬山市入鹿池のワカサギ釣り!
いや~昨日(1月16日)の入鹿池はすごい人でした。
朝7時ちょっと前に到着したのですが、その時点で駐車場はいっぱい。
ようやく見つけた駐車スペースに車をとめ、いつもお世話になっている見晴茶屋さんへGO。
ボートの料金を払い、餌(赤虫×1、赤サシ×3)を購入。
ちなみに、手ぶらでも大丈夫です。
竿は借りることができますし、仕掛けもボート屋さんで買うことができます。
釣れたワカサギを入れるバケツや持ち帰り用の袋も貸してもらえます。
昨日は親子の姿が目立ちました。
父と子、父と娘。ほほえましい光景。
すごーく和やかな雰囲気でした。
あっ、週末は予約してください!さもないと、せっかく行ったのにボートの空きがなく乗れないなんてことになりかねません。
平日であればまず心配はないと思います。
現在の入鹿池の状況ですが、ターンオーバーも終わったみたいで、数もサイズも上がってきています。
ちょっと前までは教会前、今井川河口など岸から遠いポイントでしか釣れず大変でしたが、今は灯台前や岸から数メートルのところでも釣れます。
毎年そうらしいのですが、池の水温がある程度まで下がり、安定してくると、岸に近い場所でも釣れるようになるようです。
僕は灯台前のポイントでやりました。
とにかく人が多いので、周りのボートとは距離を置くようにしたほうがいいです。
仕掛けがからまることは滅多にないと思いますが、あまり近くに人がいるとボートがぶつかったりして集中できません。
ただでさえ声が通るので、周りの話声にも気を取られてしまいます。
ポイントに着いたらアンカーを下ろします。
必ずおろしてくださいね!
アンカーを下ろさないとボートが流されてしまい、釣りどころじゃなくなります。
アンカーを下ろしたら釣り開始です。
僕は電動一個で勝負。
本当は電動二刀流で勝負したかったのですが、僕としたことが台を忘れてしまいました。
電動リールの利点としましては、まず手返しの良さが挙げられます。
ワカサギ釣りはとにかく手返しが勝負の決め手です。
釣れたらさっさと魚を外し、餌交換の必要があればさっさと交換して、さっさと仕掛けを落とす。
手返しのよさが釣果を左右します。
仕掛けのトラブルなんてもってもほかです。
ズボンや手袋に引っ掛けないように十分注意しましょう。
餌付けは慣れるしかありません。
赤虫なら二つ折りにして針をかけたり、先っぽにちょんがけするなどいろいろなやり方があります。
サシはちょんがけして下を切り落とします。
必ず切り落とすようにしてください。
切り落として中からエキスがでるようにします。
あと、サシは餌交換のペースがはやいです。
次々に交換しましょう。
タイミングとしては白い中身がなくなったところで交換しますが、釣れないと思ったらすぐ交換してしまいましょう。
赤虫とサシのどちらが多く釣れるか?
両方釣れます。
昨日に限って言うと、僕の場合はサシのほうが多く釣れました。
しかし、赤虫にも当たりがあったので、両方試してみることをお勧めします。
あと、ブドウ虫も効果がありました。
ブドウ虫用のフックが売っているので、それを使うと便利です。
ブドウ虫は寄せ餌として使います。
フックがない場合は、一番上の針にちょんがけします。
ブドウ虫を使うことを考えて、6本針や7本針を使ってもいいと思います。
ブドウ虫を針にちょんがけしたら、下三分の一のところをはさみで切ります。
切ることで中のエキスを出すわけです。
釣れない時、当たりはあるけど食わない時など、効果を発揮してくれます。
釣るコツとしては、積極的に誘うことです。
竿を軽く上下に動かして、餌を動かします。
誘って止める。誘って止める。を繰り返します。
誘ったら必ず竿を止めるようにしてください。
竿が止まっていないと当たりに気づかないこともあります。
ワカサギが針にかかったら、あわせてあげます。
あわせかたはyoutubeに動画があるので参考にしてください(僕の動画ではありません)
感覚としては、ワカサギの口に針をひっかける感じです。
最初は上手くいかないかもしれませんが、何度も試してみてください。
針がしっかりかかれば外れることはありません。
かかったと思ったら後は糸を巻き上げるだけです。
糸を巻き上げるときに注意するのは、乱暴に巻き上げないということです。
速すぎてもだめ、遅すぎてもだめです。
これも感覚の話になるので、かかったのに途中で逃げられたりした場合は、巻くスピードを調節してみてください。
基本的にこの方法で釣ることができます。
先ほども言いましたが、数釣るためにはとにかく手返しをよくすることです。
*綺麗な環境があって初めて楽しい釣りをすることができます。ゴミは持ち帰る、タバコを池に捨てない、これ基本です。環境を守り、いつまでも楽しく釣りができるよう一人一人の心がけが大事です。
中国面白動画
ちょっと前にFacebookにアップロードされた動画を紹介します。
爆笑影片分享(爆笑動画シェア)というFacebookページがアップロードした動画です。
題して「小孩說的完全有道理」
中国で撮られた動画です。
父親が息子を叱っています。
動画の内容を中国語から日本語に翻訳しておきますので参考にしてください。
父: お前この点数はなんだ!
歴史8点?
地理5点?
政治3点?
どうやったらこんなひどい点数が取れるんだ?
息子: そんなこと言ったって仕方がないじゃないか!
歴史?俺はまだ生まれてねえよ!
地理?俺行ったことあんのかよ?
政治?十八大开会なんて出たことねえよ!
こんなテスト問題が悪いんだよ!!
父: 転校だ!!!
※「十八大开会」というのは中国共産党第十八回全国代表大会という会議のことです。
台湾出身アイドル施鈺萱Hsuanインタビュー記事
施鈺萱という台湾出身のアイドルをご存じですか?
Through Skills (スルースキルズ)という日本のアイドルグループで活躍している台湾出身のアイドル 施鈺萱 さんに関するインタービュー記事を翻訳してみます。
ー日本に来た経緯
子どものころから芸能界で働くことに興味がありました。
世新大学ではテレビ、放送、映画総合学科を選択しました。
大学三年生の時、交換留学の機会を得て日本に留学しました。
日本で留学をしていた時、ロンドンハーツの淳さんがTwitter上でアイドルの募集をしていたんです。
この機会を逃す手はないと思い、思い切って応募しました。
そのオーディションに絶対合格したいと思ったので、空いた時間に歌やダンスの練習をしました。
結果は「合格」でした。オーディションに参加した人の中で私は唯一の外国人でした。
日本に来てまだ三ヶ月ほどでしたので、当時日本語はそれほど上手ではなく、すごく不安でしたが、その後無時にメンバーに入ることができました。あの時は本当に嬉しかったです。
ある時淳さんに聞いてみたんです。「どうして私を選んだんですか?」って。
淳さんは、「外国人がチームの中にいると将来海外に進出する機会が広がると思ったからだ」と教えてくれました。
当時私はまだ学生でしたので、チームに入って10ヶ月で台湾に帰らなくてはいけなくなりました。台湾の大学を卒業した後再び日本に戻ってきました。
「Through Skills(スルースキルズ)」というグループができたのは、淳さんがTwitter上でファンと喧嘩したのがきっかけだったんです。
淳さんはファンの人の暴言を無視することができなかった。だからいわゆる「無視能力」を兼ね備えたアイドルグループをつくろうと思ったんです。
Through Skills(スルースキルズ)という名前には「ファンからの暴言を無視できる」という意味が込められています。
※Through Skillsを中国語に直訳すると「無視技巧」になりますが、Through Skillsは「炮灰系女孩」と呼ばれています。
ファンの方に怒ってもらうことで、ストレスを解消してもらう。そして、私たちがファンの方に元気を与える。これがThrough Skillsのコンセプトです。
だからThrough Skillsのファンの方は私たちのTwitterで私たちを叱ることができます。私たちのイベントの際には、「帰れ!」とか「ちゃんとしろ!」と叫ぶファンの方もたくさんいます。
私たちは舞台の上で思わず笑ってしまうこともあります。
初めて私たちのイベントに参加した人はおどろくかもしれません。「なんでみんな怒ってるんだろう?」って。
でもそこが「吉本っぽい」と私は思っています。
Through SkillsはTwitterから始まったグループです。私たちはロンドンハーツの淳さんが主宰しているアイドルグループの一つなんです。
淳さんの「淳の休日」という企画の中で、アイドルグループをつくろうという話が持ち上がって、淳さんがTwitter上でアイドル募集を呼び掛けたんです。
ですので、Through SkillsのメンバーはみんなTwitterを見て集まったんですよ。
それだけではなくて、私たちの歌やダンスもみんなTwitterで募集したものなんです。
ファンの皆さんが選ぶこともありますし、私たちが自分で選ぶこともあります。
私たちのお手伝いをしてくださるファンのみなさんはみんな自分の仕事を持っています。しかもスタッフさんの数も少ないので、メンバーがネット上で曲の募集をしたり、グッズの注文を処理したりしています。
ー日本でアイドルになるって実際どんな感じなんですか?
私たちアイドルの仕事は一つ一つのイベントをこなしていくのが基本です。
Through Skillsの場合は、毎週吉本でTwitter生放送の番組でファンのみなさんと直接ふれあう他、例えば司会の仕事、コンサート、時々吉本のお笑い芸人の方と一緒に番組に出たりしています。
イベントがない時は、歌やダンスの練習をしています。
メンバー個人の仕事もあります。
エージェント会社のマネージャーさんが仕事をとってきてくれたりもします。
例えばNHKの「美女よ男子」に出演もしました。
仕事の合間の時間には、LINEスタンプを作成したり、クリエイティブな仕事もしたりしています。
今のアイドル界は競争がとても激しいんです。今は誰でもアイドルになれてしまうからです。
私たちは淳さん主催のグループなので、いろんな仕事が舞い込んできます。まだまだ人気はないんですけどね。
アイドルで成功するのって本当に難しいと思います。しかもアイドルもどんどん低年齢化しています。
日本人は年齢をとても気にするので、若いアイドルのほうが当然人気が出ます。
台湾のアイドルは大学を卒業する前後に芸能界に入るケースが多いですが、日本のアイドルは中学生や高校生で始める人が多いですね。
競争に勝つためにはファンの方との関係が大事だと思います。ファンの方に好きになってもらうために、ファンの方との対話は欠かせません。こちらから積極的にファンの方とお話をすることが大切だと思います。
(以前はファンなのだから当然私たちのことが好きなんだろうと思っていました。ファンの方が話しかけてくれるのが当たり前だとも思っていました。)
ファンの方の名前を覚えることも大切です。
今ではいつもライブに来て下さる常連のファンの方の名前はほとんど覚えています。
ーアイドルという職業を通して今後どんなことを実現したいか
将来は女優になりたいと思っています。
大学生の頃から動画を撮ったりしています。また、舞台の仕事も積極的にこなしています。女優になるための修業だと思って頑張っています。
私は演技が好きなんです。アイドルとはちょっと違いますね。
演技というのは様々なキャラクターを演じ分けなければなりませんが、アイドルはある決まったキャラクターを演じます。
今の夢は台湾でLIVEをすることです。日本では100回LIVEを行いましたが、台湾にいる両親はまだ私のLIVEを見に来れていません。
ですので、台湾でLIVEを開催して、両親や友達に見に来てもらいたいです。
空いた時間を作って創作活動もしています。
(ファンの皆さんをひきつけるためでもあります)
私は作詞作曲もできるので、これからは歌も作っていきたいと思います。
(オーディションの時も自分で作った歌を歌いました)
まだ余力があれば、短編映画を撮る計画もあります。
(以前ドキュメンタリー動画を撮って、沖縄で上映したこともあります)
日本でアイドルになったり、芸能人になることに興味があるなら、今は多くのチャンスがあると思います。
しかし有名になり売れるのは難しいです。
ここ数年外国人やハーフの芸能人の増えてきています。今の日本に芸能界には「外国人ブーム」が起きていると思います。
バラエティー番組でも「海外」に関連した番組は人気です。
これは台湾と一緒ですが、日本でも素人の人が簡単にテレビに出れるようになりました。
台湾ではネット上で人気を博している人もたくさんいます。
日本の場合はアイドルから活動の幅を広げていく人がたくさんいます。