聖徳太子

聖徳太子は何人もの話を同時に聞いて理解することができたと言われています。

 

これってすごいことですよね。

 

5人で話していて、自分一人だけが聞き役になったとします。

 

他の4人は同時にバラバラのことを話します。

 

自分は聞くだけです。

 

4人の話をきちんと理解することなんてできるでしょうか?

 

試したことはないですが多分無理だと思います。

 

理解するどころか、4人が同時に話しているのを「聞く」のがそもそも難しいと思います。

 

聖徳太子はいろいろな逸話がありますが、もし本当ならすごいですよね。

 

処理資源という言葉があります。

 

英語ではprocessing resourceと言います。まあ、そのままですね。

 

処理資源とはcapacity(容量)、attention(注意)、effort(努力)のことです。

 

人は何かをしているとき処理資源を消費しています。

 

同時に複数の課題を遂行すると、消費される処理資源の量も多くなります。

 

そして消費される処理資源の量が限界を超えてしまうと、各活動に十分な処理資源が配分されなくなります。

 

同時に複数の課題をこなすのが如何に難しいかが分かりますね。

 

聖徳太子には関係ない話ですが、私たちが第二言語を話すときにも、この処理資源が関係していると言われます。

 

一般的に言語処理というのはほとんど自動化されているんですよね。

 

文章を書いたりするのは高度な言語処理になるのであまり自動化はされていません。

 

話している時と書いている時のどちらが頭を使うかを考えれば分かります。

 

とにかく普段の生活で話したり聞いたりする時、私たちはそれらをほぼ自動でやっていますよね。

 

いちいち「これから聞こう!これから話そう!」と考えませんよね。

 

だから言語処理は処理資源にあまり干渉しません。

 

でも第二言語の場合はどうでしょうか?

 

処理資源なんて小難しいことを考えなくても分かると思います。

 

勉強し始めたばかりのころは母語だとすらすら言えることも外国語だと文法のことや発音のことなどいろいろ考えながら話すと思います。

 

初級の学習者がそうなるとは当然ですが上級者でも少なからず考えると思います。

 

つまり第二言語の場合、母語ほど自動化されていないということです。

 

自動化されていないため言語運用のために処理資源を消費する。

 

だから人が言語処理以外に使用できる処理資源が減るため、外国語を使って複雑な作業を行うことができなくなる。

 

そのために知的レベルが低下したように感じられるというわけです。

 

これをForeign Language side effect と言います。

 

だから第二言語の上達=処理の速度と精度を上げることなのかもしれませんね。